行動パターンが

気が付いたら中学生時分と全く同じ感じになっていた。

金が無いから休日は図書館に行って暇を潰す。金が無いから親に定期代を立て替えてもらう。会社で定期代を経費で落としてもらったので、給料が出るまで親にはだんまりを決め込んでゴールデンウィーク中の遊行費に当てるetc.

唯一「成長したな」ってとこは「会社で経費をもらえる身分になった」ってとこでしょうか?あ、あと「図書館に車で行くようになった」ってとこも。しかし、これはむしろチャリで通ってた中坊の時の方が地球にやさしかった、という観点から見れば後退でございます。でも便利だものね車。税金取られるけどね。39,500円だって。高えよ!

それはそれとして、今更ながら図書館で村上春樹東京奇譚集」借りて読んだんですよ。でも本気で「今更!?」とか言われても「図書館ってのは本来そういうとこなんだ」と開き直りますけど。ともかく読んだわけですよ。

したら、なんか感動したんですよ。

あの〜、端的に言うと村上春樹って昔は「世間はクソだから、俺は俺の殻に閉じこもるよ」って感じの話を書く人だったんですよね。
村上さんの小説にはよく異界の表現が出てきます。それは何処かのホテルだったり、草原の中にぽつんと立つ小屋だったり、井戸の底だったり、それこそ自分の脳内世界だったりします。
そしてそれは大体において「主人公の自我の延長、若しくは具現化したもの」という表現の仕方をされてたんですよ。

で、昔(多分「ねじまき鳥クロニクル」とかあの辺までだと思うんですけど)は村上さんはその「自我の延長、若しくは内部」という点の表現に一番重きを置いた小説を書いてたと思うんですよ。
極端な話「自分の外には現実が広がってるけど、まあそれはそれとして俺は今真剣に自分の事考えなきゃいけないから、それは無視するし、場合によっちゃ抗うよ」っていうスタンスだったんです。
別に評論家でもないくせにそんな断言しちゃっていいのか?とは思いますが。いいんだよどうせ素人のたわごとだから。

まあそういった、ある種精神的ひきこもりっていうのがですね、俺が村上春樹に持ってたイメージだったんですが、何かこの本読んだらですね、確かにキーワード的に「異界」とかそういったものは出てくるんですよ。
出てくるんですけど、今までだったらその「異界」に主人公なりなんなりが入り込んでどーしたこーした、って話だった所が、この本だと一旦「異界」に行っちまった人がまた現実の世界に戻ってさあどうする?っていうかまあとりあえずお帰りなさい。っていう話になってたりするんですねえ。
話が随分抽象的ですみませんねえ。
あと、やたらいけすかない若者が、物語の進行上必要不可欠な地位を与えられてたり、とにかく、全体的なお話(因みにこの本は短編集でございます)の通奏低音として「自我は勿論大事だけども、それと現実の問題をどうするか?」っていう問題意識があるような感じを受けたんですよ。

たぶんこの本はですね、「すごい面白い」って本ではないと思うんですよ。
でもまあ言ってみりゃ、村上春樹っていう、それまで「はい、精神的ひきこもりのプータローですう(あくまで精神的にね)。エヘへ〜」なんぞと嘯いてたおっさんが、気が付いたら50過ぎになって今更ながら現実の世界と真剣に取っ組み合おうとしてる記録なわけですよ。少なくとも俺にはそう思えるんですよ。
50過ぎても自分の人生に対するスタンスを根本的にシフトチェンジできる、ってのは凄いことだと思います。ていうか、村上春樹の場合はこのシフトチェンジをするために今までのキャリアを築いてきたんじゃねえのか?と思えるぐらいです。
村上さん今調べたら58才らしいですよ。ますますすごいね。

だから、そういうね、「自分の一生賭けてそれまでの自分をひっくり返す」っていうところにね、僕としてはすごい感動したわけです。何熱くなっちゃってんの?と思われるかもしれませんが。まあでもたまにはいいじゃないか!俺だって真面目に物考える時ぐらいあるさそりゃ!!